| ■ 高齢者の思うこと |
| No. | : 10 [返信] | |
| Name | : 昭和一太郎 | |
| Date | : 2009/03/21(Sat) 15:58:57 |
先日、確定申告に税務署に行ったら親切に年寄り扱いにされた。
杖を付いているせいでもあろうが自分では年寄りとは思っていないのだが端から見れば77歳と云う年齢が完全な年寄りとして見られるのであろうかと苦笑がこみあげてくる。現在、後期高齢者と呼ばれている年寄りは、大正から昭和一桁、明治生まれのお年寄りは、もう数が少ないだろう。
「だんぽぽ新年号」で激動の時代に生まれ、生きて幸か、不幸かと自分に問いかけ面白かったと書いてみたが現在の青春期と往時の青春期と比較してどちらは面白いかったのか、少し考えてみよう。先ずは大正生まれの人、大正初期の人達は大正ロマンを体験し実りある青春時代を過ごしたと思われるが大正二桁、生まれの男が一番、損をしいると思われる。と、云うのは、二十歳で徴兵検査で否応なく兵隊に駆り出され平治ならば2年で除隊なるが戦時下に入り除隊ならず延長され六年兵、十年兵となり南方に派遣された軍隊の殆どは戦死し関東軍に配属された兵隊は、敗戦となるとソ連軍の捕虜となりシベリアに連れて行かれ奴隷とされ
厳冬に倒れ異国の丘に眠る人は数知れず運よく帰国した人達も30歳近くになり貴重な青春時代を失った。戦争は殺し合いだから戦死は仕方ないとしても許せないのは「旧ソ連」不可侵条約をり、広島に原爆が落ち日本は敗戦と知るや突如として満州に侵攻し日本兵を捕虜としてシベリアに連れ去り奴隷とし、北方四島を占領、戦後64年経た現在まだ返還しない。日本政府の弱腰にも腹が立つ。話しは少しそれた。もとに戻し現在の若者と昭和一桁
生まれの青春時代と、どちらは幸せであり面白いか、比べてみよう。人間、一番興味あるセックスからはいると昭和一桁生まれの女の処女率は90%、男の童貞率はせいせい10%ぐらいだろう。と云うのは、江戸時代から昭和31年、売春禁止条例が施行されるまで「筆おろし」なる風習は残り、男は二十歳になると部活の先輩や職場の先輩達が恥ずかしがる後輩を面白がって遊郭に連れて行き筆おろしさせられ童貞を失う。女の方は、昔ながらの女大学の教えを護り、処女は女の命と信じ処女てなければ嫁には行けないと貞節を守り結婚初夜までは接吻は許すが最後の一線は許さない。男からすれは、それはなんとも神秘的であり処女は羨望の的であり憧れであった。男達は何人かの水商売の女と関わりながらも妻と名の付く人には貞操を求め処女でなければ許さない。江戸時代から続く封建制度と男社会が昭和31年に施行された売春禁止条例によってその一角が崩れ現在のフリーセックス時代の流れとなり貞操、純血という文字も死語となった。江戸時代には「出会茶屋』戦前は「連れ込み宿」戦後は「逆さくらげ」
「温泉マーク」現在では「モーテル」「ラブホテル」と横文字に変わり10代の若者達も堂々と利用すると聞く、羨ましいと云うか、なげ悲しいというか、情緒はないと云うか、遊び人と自負する年寄りには、なんとも複雑な心境であろう………。10数年前、N H Kテレビ放送でエイズ予防対策、性教育として高校の教壇での性器のこけしを使って女の先生は正しいコンドームの使い方を教えている。生徒達は、げらげら笑いなから授業を受けている映像を見た時、日本もここまできたのか、強い衝撃を覚えた。男女合体とは愛の誓いであり頂点であると子供達に何故、教えないのか?文部科学省は何を考えているのか、エイズとは不特定多数の
性行為によって蔓延するものであり、たった1人の人を愛し合体する。男女合体とは愛の到達点であると貞操観念を子供達に植え付けるのは教育者の役目だと思うのは時代遅れの年寄りの戯言であろうか……性欲を理性で抑える。理性が弱いから性犯罪が多発する。子供達にはもっと精神的教育が必要ではないかと年寄りは思うのである。それにしてもうら若き女の先生は生徒の前でコンドームの使い方を説明を恥ずかしくなく良く出来るものだと感心する。教育理念を信じ教育者としての情熱を燃やしているのだろうと思われるが時代遅れの年寄りにはついて行けないが、もしタイムスリップして青春時代に戻れたならプラトニックラブではなくフリーセックスを楽しんでみたい気もする。
昭和一太郎 記
| ■ 無題 |
| No. | : 9 [返信] | |
| Name | : 昭和一太郎 | |
| Date | : 2009/01/07(Wed) 17:58:09 |
明けましておめでとうございます。また一つ歳をとりました。
10代の時は、早く大人となり人前で堂々と酒、煙草を飲み、社会のお役に立ちたい?いゃ、女と遊びたかっのかな?いずれにしても歳を取ると云うことは嬉しい事であったが、高齢者にとってはに後5年、後3年と冥土に一歩づず近づく事でもある。死に近づく、ちっともめでたいことでも嬉しいことでもないのに新年を迎えると、やっぱり嬉しくもありめでたくもあり不思議なことである。信仰で云う、人間は生きているのではなく神に生かされてのだとの説に納得せざるを得ない。幸か、不幸か、動乱に時に生まれ動乱の時代を生きて来た。後5年、早く生まれてきたら戦争に駆り出され特攻隊に志願して名誉の戦死、いや、敗戦、平和の時代ともなれば名誉ではなくただの犬死にであった。そして、後5年、遅く生まれていたら戦争の悲惨さ怖さを知ることもなかった。平和な時代では5歳の年齢の差はさしたる差ではないが動乱の時代では5歳の差は運命を変える。昭和5.6年生まれは戦争を知る最後の年代でもある。その年代に生まれて幸か、不幸か、
と問われば幸とは言い難いが人間の心の移り変わりの早さ、弱さを分析できて面白かったと答えられる。22,6事件以降、軍国主義は台頭し小学校から中学、敗戦まで軍国主義を叩き込まれ、忠臣愛国、国の為に死ね、天皇の為に死ねと教育され死の美学に洗脳され先輩達は南の空に消えて行った。死の美学、死に美学など無い存在しない。その死の美学を叩き込んだ先生達は敗戦となり一夜明ければ日本教職員組合などを立ち上げ、命の尊さ、戦争の馬鹿らしさ、日の丸反対、君が代反対を叫ぶ。国の為に死ね、天皇の御楯となって桜の花の様に見事に散れと戦場に送り出したのは先生達ではなかったのか、と文句の一つも云いたいところだが当時の青少年が腹へっていてそんな元気もなかっが一部の青少年は心のよりどころをうしない暴走し特攻くずれ、予科練くずれと呼ぶ不良少年の代名詞となった。敗戦を迎えて日本人の心は180
度、回転し一夜して変わってしまった。米軍の空爆によって日本の都市という都市は焼け野原となり、日本人の心も一緒に焼け爛れてしまったのか、大和魂も大和撫子も過去の産物となり街には飢えた野良犬の様に人々は明日の糧を求めて彷徨い歩いた。神として崇拝された天皇は、アメリカ色の濃い新憲法によって国民の象微とされ人間天皇となった。これまで憲法などに関心がなく、ただお上のやる事には逆らえないと信じていた人々は、急に自由主義に目覚め言論の自由、男女同権などの言葉を口にして集まり
デモ隊となって街の中をねり歩いた。敗戦後、初のメーデーは皇居前広場で開催され数万人の人達は手に手に赤旗やプラカードを持って集まった。メーデーとは労働者の祭典と云うがお祭りどころではなかった。皆、それぞれに肩を怒らし目をつり上げて興奮し「朕、たらふく食べている、汝、人民、飢えて死ね」などと書いてあるプラカードを振り回し「馬鹿野郎、死ね」と皇居に向かって石を投げる。つい、9ヶ月前まては、天皇の為に死ぬと云っていた日本人は皇居に向かって石を投げる。この変わり様はいったいなんなのだ、戦いに敗れれた弱い人間の心に入り込んだ悪魔のなせる狂気なのたろうか……天皇の為に死ぬのも狂気なら石をぶつけるのも狂気であろう。軍国主義の狂気に踊らされ戦争し、今日また、ここに共産主義者の狂気に踊る愛すべき労働者、それはお祭りなどではなく狂気に狂った集団であった。そして私も狂った中の1人だった。その狂気もアメリカ資本主義の力、マッカァサー司令部の命令、共産主義者の追放により鎮圧される。良いも悪いもアメリカの命令には逆らえなかった。あれから60余年の歳月か流れ後期高齢者と呼ばれ我が人生を振り替えれば動乱の
時代を生き、面白かったと言えるだろう……。
| ■ Re[4]: 高齢者の思うこと |
| No. | : 8 [返信] | |
| Name | : 昭和一太郎 | |
| Date | : 2009/01/07(Wed) 17:43:25 |
> この世の中には、解らない事が多すぎる。自民党総裁選挙、日本の総理大臣を選ぶ選挙で、麻生、福田の両候補は街頭に出て声を涸らして日本の将来の展望を訴え、聴集は黒山の様に集まり熱心に聴いているが、我々一般人には、総理大臣を選ぶ選挙権がないのである。選挙演説を聴いている民衆の中に、はたして、自民党員はいるのだろうか?誠に不可思議な現象である。
> 国民が政党を選ぶなら総理大臣も国民投票によつて選ぶのは誠の民主主義ではないか、と思うのである。民主主義とは何か、数の力である。民意の代表として政党を作る。しかしながら、その政党(与党)に嘘、偽りがあったなら(衆議院)これを正すのは参議院であるのだが同じ政党なら同じ穴の狢である。今回の様に参議院が野党が多くなれば国民の思いをよそに政党同士の喧嘩となり政治は空白でなるのは明らかである。衆院から送られた法案の是非を審議するのは政党てはなく我々、地域の代表は審議し参議院から政党を廃するべきと思うのである。それに衆議院、参議院ともに人数が多すぎる。それなりに真剣に審議していれば許せるが居眠りをしてたりゲーム興じいる議員が多い、時たまテレビで取り上げ、腹が立つ、そんな議員をそく首にすればいいと思うのだが笑って誤魔化されてしまう。ほんに日本人はお人好である。環境省とか東京都とかの調査でネットカフェ難民は6000人に増え深刻な問題だと大騒ぎしているが、それもよく解らない。ようするに仕事のよりこのみしているから定職に就けないだれではないのか、求人誌などではごまんと募集しているではないか、ネットで遊べるくらいだからそれなりの知能があるのに難民とは、年寄りには理解しがたい。ようするに彼等は人に制約される事を嫌い自由でいたいだけで、それを難民と呼ぶ、現在社会は、少しおかしい様な気がする。戦後すぐ獅子文六の小説でべストセラーになっ
> た『自由学校』お茶の水の橋の下に住む人達の物語である。人間社会から何の制約も受けずに生きて行ければ一番幸福なのだろう。その意味からすればネットカフェ難民もホームレスも幸福な人達なのかも知れない。……
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| ■ 高齢者の思うこと |
| No. | : 7 [返信] | |
| Name | : 昭和一太郎 | |
| Date | : 2008/01/15(Tue) 15:05:57 | |
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2007年。平成19年も残り少なくなった。時間はかぎりなき早さて過ぎ去って行く。今日この頃では西暦になれ昭和は何年までであったのか解りがたくなっている。また一つ歳をとる。後、何年、生きるだろうか、高齢者なら誰しも思う事である。今年も幼なじみの友は二人、この世を去った。悲しく辛い体験であるが、その反面、歳だから仕方がないか、と思う気持ちもある。
男の健康平均寿命73.5歳、平均寿命78歳、推測寿命は80歳位ではないかと思うのは、お弔いの時、「あの人、幾つ?」「78、」、「少し早いわね、」「80」、「80なら、まあまあだな、」と言う会話が聞こえることである。「貴方の寿命は後、2.3年ですよ」言われれショックも大きいが高齢になれば不思議に死の恐怖感がない。怖いのは身体の自由がなくなり植物状態に近くなるのは一番怖い。そうなった時には本人の99%の人は尊厳死・安楽死を望むだろうが日本の法律では認められない。過日、川崎共済病院か?の医師が見るに見かねて患者を安楽死させたら嘱託殺人で起訴さてしまった。頭の固い司法、お役人には本当に腹が立つ、私に言わせれば神様、仏様、先生様てある。回復の見込みがあるならばともかく味覚もなく視覚なく身体中、管に繋がれ延命治療される当人は一番辛いと思うのである。肉親の情とすれば生きる形
があればと思うのだろうが経済的な負担も多いし患者の意志を思いやるべきであると思う。『もし私は総理大臣になったら』というテレビ番組の中で小さな国会、法案審議がある。そこへ私も提出したい法案は『姥捨て山法案』
80歳になったら自分の老後の生き方をきめる。『尊厳死をむ』。『家族に見護れながら延命治療する』。『ホームに入居する』その3っの中から選ぶ。但しホームは、すべて国立で温暖で海山近くの温泉地。売れ残った小魚、野菜、山菜など食せば食費は格安で2万円もあれば食っていけるだろう…平均年金支給率、月額10万円として残り八万円、収容人員、1000人として8000万円。
税金の無駄使いをやめ建物や設備を国庫で賄ってくれれば医療、看護、介護費等、月額8000万の経費で『温泉付き夢の姥捨て山ホーム』は可能だと思うのである。如何でしょうか、この『姥捨て山。法案』全員一致で賛成してくれるのを望みます。 昭和一太郎 記。
| ■ 高齢者の思うこと |
| No. | : 6 [返信] | |
| Name | : 昭和一太郎 | |
| Date | : 2007/11/05(Mon) 13:32 |
ボクシングの世界選手権、難波の弁慶こと、亀田選手の惨敗のその後、反則問題で世情を騒せているが昔からの例えで『強いばかりが男でない』と実証されたチャンピオン内藤選手の爽やかな内に秘めた闘志と優しさに心からの拍手を送りたい。マスコミが祭り上げた「亀田一家の生き様」男の子、三人をスパルタ式に鍛える親父、それついてきた息子達も現在の世相に反し感心して見詰めていたがその反面、品格の悪さに辟易するものがあった。武文両刀、車の両輪の如し王者なるものは品格の高さも競いあって欲しいと想うのである。
品格とは何か?事典をよれば、「どことなくその人(物)に備わっている」とある。ならば、品格も時代よって大きく変化するのか?お洒落もその品格のその一つなのだあろうか……我々の時代は破れた衣類も継ぎ接ぎをし、清潔てあれば美徳とされたが現在では破れたジーパンは流行し、お洒落でというのは、どう考えても年寄りには理解し難い。使い古して破れたならばまだしも破れたジーパンをデザインとして店頭で売っているのは驚きであった。ジーパンの尻が破れ若い娘のピッチリといた白い肌が見えた時には思わず目を背けてしまう。お洒落の原点は人に見られることにある。ここに可愛い女の子がいますよ、ここに素敵な若者がいますよ、と自分を誇示するのはお洒落の原点である。爺ぃ婆ぁに何を思われても関係ねぇよと言うけど来るべき高齢者社会、4人に1人は年寄りに成るのだ。お洒落の定義は10人が10人100人が100人に素敵な人として人に見られることにある。人に目を背けられるのはお洒落でなく見せ物であると年寄りが思うのである。ついでに言わせでもらえば金髪も気に入らない。親に貰った日本人の黒髪を何で否定するのか、色白で眼も碧ければ似合うだろうが所詮、日本人の肌には似合わない。彼等は股間も金毛に染めているのだろうか?髪が金で股間は黒なら大衆浴場や性行ときなど違和感を感じるのではなかろうか?閑な年寄りは変な事まで想像するものである。 昭和一太郎 記